お花見


<花見とは 3-1>

花(特に桜)の下で、花を観賞して楽しみ、春の訪れを祝う慣習です。


元々は、祓いのためや、豊作を願う宗教的儀式だったとも言われています。


出典: ハピマミ



<花見とは 3-2>


花見を楽しむ風習は古くからあり、奈良時代の貴族がはじめたと言われていますが、当時は梅の花見で、桜になったのは平安時代です。農民にとっては桜の開花を目安にして農作業を始めるといった農業と関わりの深い行事だったそうです。

桜が咲くとその年の豊作を願い、お酒や食べ物などのお供物を捧げ、そのおさがりを桜の木の下で頂き、農作業で忙しくなる前のひとときの憩いの時にもしていました。その後、庶民のレクリエーションとして発展していき、今のようなお花見になりました。


出典: キノギフト



<花見とは 3-3>


3月下旬~4月下旬頃


豊作を祈願したのが始まり


庶民が花見を楽しむようになったのは江戸時代から。


それまでは桜を愛でる風流は貴族や武士階級のものでした。


一方、農山村では春の農作業に先立ち、豊作を祈願して山野に出かける花見が古くから行われていました。


西日本の多くは3月3、4日、東日本では4月8日に決まっており、桜に限らず辛夷(こぶし)や卯の花、つつじなどその地方の代表的な花が対象でした。


植物の開花は農作業の開始時期を示す自然の暦。


特に気象に敏感な桜は重要でした。


花を稲の花に見立ててその年の作柄を占い、神とともに飲食を行い、これが遊びとしての花見につながったといわれています。


出典: ワイドバラエティー





♦詳細

・日本人の桜好き、古代日本の神が起源?

日本人はなぜ桜を愛するのでしょうか。その歴史は古代神話以前にまでさかのぼります。 八百万の神の中に、山や田の神「サ」神が存在しました。「クラ」とは神が鎮まる座を意味し、サ神がその根元に鎮座したとされる木を「サクラ」と呼ぶようになったということです。サ神を信仰する古代の農民は桜の木に供え物をし、豊作を祈り、宴を行いました。この行為は遺伝子として連綿と受け継がれ、日本人が無条件で桜を好む理由の1つになったのではないかと考えられています。



・呪術的行事から貴族の優雅な行事に

古代では呪術的要素が強い桜の木の下での宴が、奈良時代には花を楽しむための行事と変化しました。「万葉集」には桜を詠んだ歌が残されており、当時の貴族が桜を好んでいたことがわかります。

平安時代になると桜の人気はさらに高まりました。「古今和歌集」の春の歌はほとんどが桜を歌っており、「源氏物語」でも宮中での華やかな宴の様子が記されています。花といえば桜、というイメージが定着したのもこの頃と考えられています。



・武士も花見!あらゆる階層に広まった鎌倉時代

鎌倉時代に入ると、貴族の楽しみであった桜の下の宴はあらゆる階層に広まり、武士や町人の間でも行われるようになりました。京都の寺社や山々に山桜が植えられたのもこの時代といわれています。


・ソメイヨシノが誕生、明治以降全国に広まる

江戸時代、お花見は庶民の娯楽として定着し始めます。江戸後期には染井村(現在の東京都豊島区駒込)の植木屋が、エドヒガンとオオシマサクラの交配種「吉野桜」を作りました。後に、奈良・吉野山の山桜との混同を避けるため、「ソメイヨシノ」と呼ばれるようになりました。ソメイヨシノは明治以降、沿道や河川敷、公園、学校などに植えられ、全国に広まりました。ソメイヨシノは、今では日本人のアイデンティティといってもよいほどの存在となっています。一斉に花を咲かせ、あっという間に散りゆく姿を惜しむように、日本人は今年も桜の木の下で宴をするのです。


・寿命が心配?お花見よ永遠に!

ソメイヨシノは成長が早い分、寿命も短いといわれています。近年の環境汚染によるダメージから、深刻な病気も発生しています。種子ではなく、人の手による接ぎ木で増やすことが病気を広げるとの見方もあります。現在お花見会場となっているソメイヨシノの並木道にも、もしかすると寿命が近づいているかもしれないのです。


山桜、八重桜、吉野桜、桜の品種は数々ありますが、やはりお花見はソメイヨシノの木の下でしたいものです。お花見文化を後世に伝えるためにできることは何か、今年はそんなことも考えながらお花見を楽しんでみてはいかがでしょうか。


出典: ぐるなび



お花見は桜とともに

1 お花見する人々、日本人

春。日本のあちこちで桜が満開になります。

ニュースでも、「公園では、今桜の花が満開です。その桜の下では、お花見のお客さんでいっぱいです」と、楽しそうにお酒を飲んだり、団子を食べたりする風景が写し出されます。皆さんも、お花見をしながらおいしい団子を食べたこともあると思います。

このようなお花見は外国ではあまり見られません。日本ならではのものです。しかも、「花」といえば数多くの種類があるのに、お花見といえばまずは「桜」です。

いつころからお花見をするようになったのでしょう。


2 江戸時代のお花見

お花見のはじまりは今から千年以上前と言われています。貴族の間で桜を観賞するのがすでに行事になっていました。

一般の人々に広まったのは江戸時代です。特に江戸(今の東京)には上野をはじめとする桜の名所がいくつもあり、ガイドブックまでできたほどです。その時には、金持ちも貧乏な人もそれぞれ仲間を作って、お弁当を持って出かけました。桜の下では、飲めや歌えやの大騒ぎ。「茶番」と呼ばれる劇をする人たちもいました。こうなると、ほとんど今の花見と同じですね。

江戸時代の花見は、生活するのが大変な中であって、人々にとって大きな楽しみでした。 たとえ、貧しい中でも、かまぼこのつもりの大根、卵焼きのつもりのたくあん、そしてお酒のかわりは番茶で・・・というように楽しんでいました。


3 桜の木を大切にする

お花見に欠かせない桜は、自然に咲いているわけではありません。美しい桜を保存していくために、活動している人々もいます。

「日本さくらの会」では、「さくら百万本植樹・愛護運動」を行っています。さくらを保存するだけではなく、桜を育てる運動を日本人の心を育む運動に高めていこうとするものです。

 確かに、このようにお花見の歴史や桜の大切さを知ることによって、「日本のよき楽しみ」を続けていきたいという気持ちになります。そんなことを思いながら、皆さんも今年のお花見を楽しんでみたらどうでしょう。


【一言ヒント】

 校庭に桜がある学校も多いと思います。桜の咲く時期に話したい内容です。「お花見給食」の時にも話せる話です


出典:子どもたちに伝えたい 日本の伝統・文化小話




♦豆知識

・日本人好みの染井吉野


現在、日本の桜の8割を占める染井吉野は、江戸末期に江戸・染井村(現豊島区駒込)の植木職人が江戸彼岸桜と大島桜を交配して作ったといわれます。


それまでは山桜が主流。


染井吉野は成長が早くて栽培しやすく、葉より花が先に出て見事なこと、散り際が潔いのが好まれています。


出典: ワイドバラエティー



・香りで食べる桜餅

桜餅は1717年、向島長命寺の門番、山本新六が桜の葉の掃除に困り、これを塩漬けにして餡餅をくるんで売り出したのが始まりとされています。


独特の香りは”クマリン”という物質によるもので、塩蔵すると生成されます。


桜の葉をかいだり、手でもんでみても香りがしないのはそのためです。



・花見のご馳走

花見には、江戸の昔から弁当や団子、酒がつきもの。


落語「長屋の花見」には、貧乏長屋の住人たちが重箱に玉子焼きのかわりにたくあん、蒲鉾のかわりに大根をつめ、酒のかわりに番茶を薄めたものを持って出かけるシーンがあります。


当時、砂糖は貴重で、今のようなふっくらした厚焼き玉子はなかったようです。


このほか定番は、稲荷ずし、巻きずし。花見団子や酒は、もともとは神に供えるものでした。



・花見団子

花見団子は、桜色、白、緑色の三色が一般的。


桜色は桜で春の息吹を、白は雪で冬の名残を、緑色はよもぎで夏の息吹を表す。


秋がないため、飽きがこないという。


出典: ワイドバラエティー


 

・内面的な美しさを表す桜の花言葉


桜には種類ごとにさまざまな花言葉がありますが、「教養」、「高貴」、「純潔」、「優美」、「優れた美人」など、すべてに 内面的な美しさを表す言葉が選ばれています。


桜は日本人の心を強く動かすことのできる花です。桜の美しさは数々の優れた芸術も生み出しました。古くは万葉集にはじまり、桜をテーマとした文学作品は数知れません。ジャンルや技法を問わず、多くの画家が桜を描いています。桜の季節をテーマに出会いや別れを歌った曲も、時代を超えて歌い継がれています。


満開の桜の木の下で、あるいは一斉に散り行く花を浴びながら、芸術家になった気分で桜を楽しんでみるのもいいかもしれません。


出典: ぐるなび