七夕


<七夕とは 4-1>

七月七日は季節の節目となる節句の一つで、もともと「七夕」は七日の夕方という意味で、「しちせき」と言っていました。


五色の短冊に願い事を書いて笹竹に飾ったり、長生きを願う折鶴や、豊漁や豊作を願う網飾り、魔除けと言われている吹き流しなどを飾るのが一般的です。


天の川に隔てられた織姫と彦星が七夕の夜に年に一度だけ会える……という言い伝えは、中国から伝わったお話です。


出典: ハピマミ



<七夕とは 4-2>

竹笹に短冊や飾りものをつけ、願い事を書いて星に祈る七夕。

もともとは五節句のひとつで七夕(しちせき:7月7日の夜の意味)と呼ばれました。星祭という別名もあります。牽牛星(鷲座の彦星)と織女星(琴座の織姫)とが一年に一度逢うという伝説から生まれた行事です。

また、中国の「乞巧奠(きっこうでん)」という行事と、日本にあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説とが合わさって「七夕」ができました。ここから、様々な手習いごとの上達を願う行事ともされています。

竹笹には短冊の他にもさまざまな飾りをつけますが、そのひとつひとつに意味があります。


出典: キノギフト



<七夕とは 4-3>

七夕とはどんなもの?


日本の夏の風物詩となっている、七夕。

お子さんが短冊に願い事を書いて、笹に飾りつけする風景をここかしこで見かけるものですね。

七夕は(しちせき)とも呼ばれ、日本だけでなく朝鮮や中国でも親しまれている節句。


実際は、旧暦の七月七日の夜ですが、現在の日本では明治以降カレンダーの七月七日、あるいは一月遅れて八月七日に七夕祭りが行われています。

一説によると、起源はもともと中国の行事ごとろして行われていたものが、奈良時代に伝来し、そこに日本古来の機織津女の伝説が融合したもの、とされています。

そういったことから七夕の文字を棚機(たなばた)とも表記するようですし、その名残でたなばたと発音するとも考えられています。


出典: 古きよき日本の伝統行事



<七夕とは 4-4>


7月7日 (旧暦でも7月7日)


星伝説に願いをかける


七夕は五節句のひとつで、「シチセキ」とも読みます。


東京地方では7月7日に、地方によっては月遅れの8月7日に行うところもあります。


中国から伝来した牽牛星(けんぎゅうぼし)と織女星(しょくじょぼし)の伝説と、裁縫や習字などが上達するように祈った乞巧奠(きっこうでん)の行事に、日本古来の棚機つ女(たなばたつめ)の伝説が結びついて、宮中で行われるようになりました。


「タナバタ」と読むのは、この棚機つ女に由来します。


一方、農村では七夕の日に水浴びをしたり髪を洗う風習がありました。


これは、お盆の前に穢れを祓うという意味。


七夕とお盆は一続きの行事として考えられ、水浴びを「ねむり流し」「ねむた流し」ともいいました。


出典: ワイドバラエティー




♦詳細

<七夕伝説の始まり>

七夕の発祥は中国と言われており、天の川の西に住む織物が得意な織女と、東に住む牛飼いの牽牛という夫婦の話が元となっています。


織女の結婚相手を探していた天帝(星空を支配する神)が、働き者の牽牛のことを知り「娘の織女と結婚してくれないか?」と頼みました。牽牛は恐縮しながらもその話を引き受け、2人は夫婦となりました。


しかし、2人は結婚すると真面目に働くどころか天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。天帝が「仕事をしないのか?」と尋ねると、「明日からやります」と答えるばかりで一向に働く気配がありません。


これに業を煮やした天帝は、牽牛を元いた天の川の西に戻し、2人を離ればなれにしてしまいました。


牽牛と会えなくなった織女は毎日を泣いて暮らしました。そして牽牛も寂しさにあまり家に閉じこもってしまい牛の世話ができなくなってしまいました。


それを見た天帝は「2人が以前のようにきちんと働いてくれるなら、年に一度だけ会うのを許そう」と言い、それを聞いた2人は前よりも増して一生懸命働くようになりました。


こうして、一年にたった一度だけ会える日の7月7日は、織女と牽牛にとって待ち焦がれた日となったのです。


<日本の七夕伝説はどういう内容なの?>

ある日、3人の娘を持つ男のところに大蛇が現れ「娘をよこさないと親子共々殺してしまう」と言われました。


困った男は娘に話をしますが、上の2人は絶対に嫌だとすぐに断ったものの末娘だけは「お父さんとお母さんが殺されるわけにはいかない」と大蛇のところへ行くと言いました。


池の傍に小屋を立て、そこに末娘を残して両親と2人の姉達が泣く泣くその場を離れると、雷鳴と共に池の中から大蛇が現れました。


しかし大蛇は末娘に「怖がることはない。刀で私の頭を切りなさい」と言いました。


娘が言われた通りにすると大蛇の中からは立派な若者が現れ、自分は「天稚彦」だと名乗りました。天稚彦とは日本神話に登場する神のことで、娘は天稚彦と結婚し幸せな日を過ごしていましたが、ある日天稚彦から「用事があり天へ行ってくる。


三週間経っても帰ってこなかったら西の京の外れに住んでいる女性から一夜杓を受け取って天に来なさい」と言われました。


その際、唐びつを受け取り、「私が戻って来るまで決して開けないように」と言われました。


天稚彦が天に向かった後、上の2人の姉が末娘の元を訪ね、幸せそうな様子に嫉妬しながら家の中の物を勝手に見始めました。


その時に、天稚彦から絶対に中を覗くなと言われていた唐びつも開けてしまいました。


そして三週間経っても天稚彦が戻ってこないことから、娘は西の京の外れの女性の元を訪ね一夜杓を貰って天に向かいました。


天に登った娘は、ゆうづつやほうき星や昴に天稚彦の行く先を尋ねながら、どうにか天稚彦に会うことができました。


再び出会えたことで以前にも増して固く心が結ばれた2人でしたが、実は天稚彦の父は鬼で、娘との結婚を許すはずがないことから、父がやってくるたび娘の姿を枕や扇に変えて父にわからないようにしていました。


しかし、うたた寝をしているところに父がやってきてしまい、ついに娘の存在がバレてしまったのです。


激怒した父は娘に無理難題を突き付け、天稚彦と引き離そうとしますが天稚彦から譲り受けた袖を振ると、その難題が次々に解決していきます。


やがて娘を認めざるを得なくなった父は、「月に一度なら会ってもよい」と折れたのですが、娘はそれを「年に一度」と聞き間違えてしまい、娘の聞き間違いを正さないまま父は手にしていた瓜を投げつけ、その瓜が割れたところから水が溢れ出し、天の川を作りました。


以後、娘と天稚彦は7月7日のたった1日だけ会うことを許されたのです。



<七夕の由来と短冊や笹飾りの意味!>

笹の葉さらさら、のきばに揺れる

お星様きらきら、ぎんぎん砂子


毎年、7月7日が近付くと、この歌を歌いながら笹の葉に短冊を始めとした七夕飾りを付け、織姫と彦星の逢瀬を思い浮かべながら夜空を眺める方も多いのではないかと思います。


誕生日やクリスマスの願いごとでは、ほしいオモチャの名前が多く聞かれますが、七夕に限っては「わるいやつをやっつけるウルトラマンになりたい」「かわいいおひめさまになりたい」など、子供らしい愛らしい願いごとを目にすることが多く、何となく心が温かくなる行事ですよね。


では、七夕のそもそもの由来や七夕に短冊を飾る理由は知っていますか?


「そんなの別に知らなくても七夕は過ごせるよ」と思うかも知れませんが、七夕の以外な由来や意味を知ると「そういうことだったのか!」と新しい発見があると思いますので、よろしかったらお付き合い下さい。


<七夕の由来は?3つの説を解説!>

七夕の発祥は中国だと言われています。


しかし、由来については諸説あり、


1つは天の川を挟んで並ぶ2つの星にちなんだ伝説です。


天の川を挟んで暮らしていた織女と牽牛は、織女の父の計らいで結婚したものの、元は真面目だった2人が結婚を機に毎日天の川のほとりで語らうばかりで全く仕事をしなくなったことで、父に離ればなれにされてしまいます。しかし離されたことで織女は泣いて暮らすようになり、牽牛も家にこもって農作業を行わなかったことから、それを案じた父によって年に一度、7月7日だけ会うことを許されたというお話。


もう1つは、乞巧奠(きこうでん)という風習に関係した由来です。


乞巧は巧みを乞う、奠には崇める・祀るという意味があり、中国では女性が手芸や裁縫の上達を願って行う行事でした。日本には奈良時代に伝わったのですが、宮中の女性達は、織女の織る布が美しかったことから7月7日の織女星が輝く夜にお供え物をして機織りや裁縫などが上手になるように願ったそうです。


そして3つ目は、日本古来の風習であった「棚機津女(たなばたつめ)」という信仰が元になった説です。


棚機津女とは、7月6日に天から降りてくる水の神に捧げる布を織るため、水辺の小屋に籠る女性のことを言います。棚機津女が織った布は神が着る衣であり、水の神が帰る7月7日に供え禊を行うことで厄災を祓ってくれると考えられていました。さらに、この時期は稲の成長期であったため雨不足とならないように、との雨乞いの側面も持っていたようです。


七夕の由来には諸説あるのですが、現在ではこの3つの説のどれか、もしくはこの3つが合わさったものが日本における七夕の由来の有力説となっています。



<なぜ七夕をタナバタと読むようになったのか?>

七夕は、元は五節句の一つです。


節句とは季節の節目を指しますが、その中でも重要の日とされていたのが五節句で、雛祭りや子供の日なども元は五節句が由来となっている行事です。


節句の文化の発祥である中国では、奇数が重なると陰になるとして縁起がよくないとされ厄払いが行われていました。


7月7日もこれに該当し、さらに避邪(ひじゃ)の儀式が行われていたのが夕方だったことから、七月七日の夕方=七夕(しちせき)と呼ばれていたのですが、棚機津女の信仰と合わさった際に七夕をたなばた、と読むように変わっていったと言われています。


<七夕の短冊の意味は?>

奈良時代に中国から乞巧奠が伝わった時、裁縫や手芸の上達を願ったことから糸が供えられていました。


しかし、七夕行事が宮中から庶民へと広がり始めると、高価だった糸は供えられない代わりに紙を切って供えていたのが短冊の始まりだと言われています。


また、七夕が宮中の行事だった頃には、カラドリ(里芋の仲間)の葉に溜まった夜露を集めて墨をすり、その墨を使って梶の葉に文字を書き笹に吊るすと書道の腕が上達すると言われていました。


この風習が、後に江戸時代では、短冊に願いことを書くとその願いが叶うと言われるようになったそうです。


<なぜ短冊は五色なの?>

短冊の五色は、中国の陰陽五行説が元となっています。


陰陽五行説とは「木、火、土、金、水の5つの要素が、世の中の根源である」という考えで、木は青、火は赤、土は黄、金は白、水は紫と色が決まっています。


このことから、短冊の色は陰陽五行説にちなんで、五色となっており、色によって意味が違います。


・青は人間力を高める

・赤は両親や先祖に感謝する

・黄は人間関係を大切にする

・白は義務や決まりを守る

・紫は学業の向上

となっています。


よって、短冊に願いごとを書く時は、この意味に近い色を選ぶのがよいとされています。


<七夕飾りをなぜ笹に飾るの?>

笹は、日本では古来より神事に用いられてきました。


その理由として、笹の持つ生命力や殺菌力に優れた面が邪気を祓うという点で合っていたのだと思われます。


また、笹は真っ直ぐに伸びる性質があることから、その葉がこすれ合う音が天界にいる神様や先祖に届きやすいという意味もあるようです。


出典: 豆知識Press



<笹飾りは寺子屋から>

笹竹に短冊などをつけて、手習いごとの上達を祈る風習は、寺子屋が普及した江戸時代から。


江戸では7月6日のタべから竹を立てました。


竹には五色の短冊や吹流しのほか、瓢箪(ひょうたん)やそろばん、大福帳、千両箱、鯛などの縁起を祈った飾り物がつけられました。


安藤広重の「名所江戸百景」の「市中繁栄七夕祭」には、屋根の上に竹が立ち並ぶさまが描かれています。


出典: ワイドバラエティー



<七夕の起源>

現在の八月の風物詩、お盆である日本での祖霊や豊作を祈る古来からの祭と中国より伝わった、針仕事の女性がその腕が上がることを願った乞巧奠(きこうでん)などが融合したと考えられています。


★文献では漢の時代から記述が

「文選」の漢の頃に編纂された「古詩十九編」、南北朝時代の「荊楚歳時記」、また「史記」にも七夕伝説の記述があるようです。

中でも南北朝時代の「荊楚歳時記」には七月七日に織姫が牽牛と会う夜に、女性たちが七本の針に美しい鮮やかな糸を通して、ささげものを庭に飾って針仕事の腕が上がるようにと祈った、ということが記載されています。


★日本での七夕の起源

「古事記」にはアメノワカヒコが亡くなったときにアヂスキタカヒコネが訪れた際に読んだ歌のなかに「淤登多那婆多」(弟棚機・おとうとたなばた)とあったもの、さらに「日本書紀」のなかの「乙登多奈婆多(おととたなばた)」によるという説もあります。

さらに奈良時代には宮中の節季の行事として日本では行われており、万葉集でも大伴家持が七夕にちなんで、棚機の今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年はながけむ、と歌っています。

このようにもともとは宮中での行事だったのですが、織姫に手習い事の腕があったために、江戸の時代になって手習い事の願掛けというかたちになって一般の庶民の行事となっていったようです。


★短冊について

紙の短冊が使われるようになったのはこの一般庶民に広まっていった江戸時代の頃。

その頃には裁縫の腕が上がることを願うだけでなく、男性も女性も願い事をこめて短冊を飾るようになったようです。

さらに江戸時代には「寺子屋」が多くできましたので、子供たちが読み書きなどが上達するように願って短冊を飾るように。そんな時代の名残から、サトイモの葉の朝露を硯に移した墨で短冊に記すと文字が上手になる、という言い伝えもあるようです。


しかし単に願いを書くだけでなく、心の中で上達するぞ!と自分の意志を強くしつつ短冊に記すと、その願いもかなっていく、ということのようです。


出典: 古きよき日本の伝統行事



<七夕の日に願いをこめて>


1 七夕の日

七月七日は七夕です。もともと「節句」の一つです。節句とは伝統行事を行うような季節の節目となる日です。

七夕と言えば、願い事を書くことを思い浮かべる人もいるでしょう。五色の短冊に願い事を書いて笹竹に飾ります。笹竹はぐんぐん成長するので、それだけ速く願いが点に届くと言われています。短冊だけではなく、長生きを願う折鶴、豊漁や豊作を願う網かざり、魔よけと言われている吹き流しなども飾ります。

短冊、笹竹、飾り物のそれぞれに人々の願いが込められているのです。


2 織姫と彦星の伝説

また、七夕の時によく聞く織姫と彦星の話は有名ですね。これは中国から伝わったものです。

天の川の西に住む織姫は、機織りが上手で毎日美しい布を織り上げていました。東側には、これまた働き者の牛使いの彦星がいました。織姫のお父さんの天の皇帝は、二人を引き合わせ、織姫と彦星はめでたく結婚しました。

しかし、夫婦になってから、二人は全く仕事をしなくなってしまいました。皇帝は怒り、天の川をさかいに二人を引き離してしまいました。

二人の悲しみが大きいので、それをかわいそうに思った皇帝は、七夕の夜だけ会うことを許します。こうして、七夕の夜、天の川を渡って二人は年に一度だけ会えるようになりました。でも、この日に雨が降ると天の川の水かさが増して、二人は会えなくなるので、晴れることを人々は願っています・・・このようなお話です。


3 なぜ「七夕=たなばた」

ところで「七夕」の読み方は特別です。もともとは七日の夕方という意味で七夕は「しちせき」と言っていました。

昔、作物の収穫を祈って、一人の女性が神のお嫁さんとして、お先祖様にための服を織り上げました。その時に服を織るために使ったものが「たなばた」といっていました。そこから、「たなばた」と読むようになったと言われています。

願い事に星の伝説。そして収穫を祈る話。七夕には、いろいろな言い伝えや願いがあるのです。


【一言ヒント】

低学年を中心に七夕飾りをする学級は多いと思われます。短冊だけではなく、折鶴、網飾り、吹き流しなどは、それぞれ願いがこめられていることを教えて飾らせましょう。


出典:子どもたちに伝えたい 日本の伝統・文化小話




♦豆知識

<願い事が叶う短冊の書き方を教えて!>

短冊に願いごとを書く時、「~できますように」「~になれますように」と言った書き方をしていませんか?


しかしそれでは、願いごとが叶えられる確率は低くなってしまいます。


実は、願いごとが叶う短冊の書き方というのがちゃんとあるのです。


それはずばり「~できる」「~になれる」と断言して書くこと。すなわち、だったらいいな、叶うといいな、ではなく、絶対にこうなる!叶う!と言い切って書くのです。


言葉に記して書くことで、自分自身の意識が変わり、夢が叶いやすくなると言われています。


出典: 豆知識Press



<北海道の七夕>


★北海道の七夕は八月七日?

七夕の起源、歴史を紐解いてみると、旧暦での七月七日ということですので、現在行われているカレンダーでの七月七日ではなく、そこから一ヶ月遅れたもともとの七月七日にあたる八月七日に行うのが本筋、という気がしなくはないのですが、これがその本筋に沿って行われているのは北海道ということは、ご存知でしょうか。

ここでは同じ日本の中でもちょっと違う、北海道の七夕の祭りについて解説します。


★北海道の七夕は二度行うところも?

北海道で七夕祭りが八月七日に行われている理由を探ると、新暦に変わったときに国が「地域に八月にするか七月にするか、決めさせた」ことが関わっているようです。

そもそも七夕には農耕で豊穣を祈るといった意味合いもあるため、北海道の地域の長はその意味合いを尊重して七月ではその意味合いからずれてしまうことから旧暦の七月七日にあたる八月七日にしたよう。

しかし日付で覚えている人たちにとっては七月七日がいい、ということで、地域によって七夕祭りが行われる日が一ヶ月ずれているんですね。


だからといって北海道すべてがこの八月七日というわけでもなく、地域によっては新しい七月七日に行っているところもあるため、道内では二回七夕祭りがある、という感じになっているんだとか。

また道内でのテレビやラジオなどでも一般的な全国の風物詩として七月になると七夕の特集が組まれたかと思うと、また道内の本番といえる八月には道内向けの七夕特集が組まれる、といったこともあるんだそうです。


★北海道の七夕はちょっと変わってる?

起源や新暦への移行などの関係で、おもに八月七日、また全国と合わせて地域によっては七月七日に七夕祭りを行っている、北海道。

一般的には七夕祭り、というと「笹の葉さらさら…」という歌にもあるように、笹に願いを込めて書き込んだ短冊を飾るものなんですが、このポイントも北海道は一般的なものと異なっているようです。

実は北海道には土地柄から、もともと竹が少なくほとんど生えていないということですので、笹を飾りたくても飾るのがむずかしいんだとか。

そういったことから、北海道で短冊を飾るのはなんと、柳の木が多いんだそうです。

柳の木のイメージというと、なんだかしだれているし、暗いところではちょっと恐ろしいような、お化けが出そうな雰囲気なんですが、おもにこの柳の木を使って短冊を飾り付けているそうです。


ローソクもらい?

北海道の七夕祭りはやはりちょっと一般的なものと違うようです。

柳の木のほかにも、ローソクもらいといわれる風習があるんだとか。

これは小さな子どもが、ローソク出ーせー!、ローソクちょうだいなー!と歌いながら近隣のお宅を回って、お菓子を集めて回る、もらってくるという個性的な風習です。


このような風習から北海道の子どもたちは七夕祭りが大好きなようですね。


出典: 古きよき日本の伝統行事



<日本と世界の七夕伝説!>


七夕と言えば、笹の葉に願いごとを書いた短冊を飾るイベントというのが一般的ではないでしょうか。また、年に一度だけしか会えない織姫と彦星の日、ということもあってロマンチックな日=恋人達の日、という認識も近年はあるような気がします。


しかし、今から20~30年前までは、家や町内会での七夕にちなんだイベントをよく見掛けていましたが、最近は笹や竹を飾る場所がないことや、飾り終わった後の処分に困ることから、各家ごとに七夕の飾りをしているのは見掛けないようになりました。


それに比例するように、自治体や学校、幼稚園などでは大々的に七夕のイベントを行っているのが増えているような気がします。


このように時代の移り変わりと共に、七夕のイベントは形を変えているようですが、そもそも七夕とはどのような由来か知っているでしょうか。


天の川に隔たれた織姫と彦星が、年に一度だけ会える日でしょ?と思うかも知れませんが、実は本来の七夕の話というのは少し違います。


また、七夕は日本だけの行事と思われがちですが、発祥は日本以外と言われ、世界の他の国でも七夕行事が行われているところもあります。


このように、一見知っているようでも以外と知らないのが七夕の真実。



<その他の世界の七夕伝説はどういう内容なの?>

実は、七夕のお話は日本だけのものではなく、世界各国に独自のものがあると言われています。今回はその中でも、3つの国の七夕伝説をご紹介したいと思います。


 ★フィンランド編

生前、とても仲良しだった夫婦がそれぞれ亡くなった後、星となったのですが2人の星は遠くに離れてしまいました。しかし、星になってからもお互いが傍にいたいという想いから、それぞれに近くに散らばっている星屑を集めて、2人の星の間に橋を作ろうと思い立ったのです。毎日毎日一生懸命に星屑を集めた2人の願いは、実に千年後に叶えられました。2人の間には立派な橋ができ、遠くにいても行き来ができるようになったのです。そして、その橋こそが七夕の夜に瞬く天の川だと言い伝えられています。


 

 ★ギリシャ編

琴の演奏が上手な青年はある日、妖精の少女と出会い恋に落ちました。いつまでも幸せな日が続くと思っていたのも束の間、妖精の少女は毒蛇に噛まれて死んでしまい、嘆き悲しんだ青年は天国にいる大王に少女を生き返らせてもらうように頼みに行くことにしました。行く手には様々な困難が待ち受けていましたが、青年が持っていた琴の音色がそれを手助けしてくれ、ついに青年は大王に「一度だけ少女を生き返らせてもらう」約束を取り付けたのです。しかし大王は言いました。「地上に戻るまでは絶対に振り返ってはいけない」この約束が守れなければ少女はまた天国へと舞い戻ってしまうだろう、と。青年は絶対に振り返らないと約束しましたが、もう少しで地上に着くところで嬉しさから一度だけ振り返ってしまったのです。すると少女はあっという間に天国へと連れ戻されてしまいました。そして、深い悲しみに暮れた青年が野山をさまよっている時、酒に酔った女達に琴を弾けと頼まれるも、それを断ったがゆえに殺されてしまいました。それを知った神様が、青年の持っていた琴を夜空に放ち、琴座を作りました。


 

 ★中国編

その昔、天上には「天衣」と呼ばれる天地を自由に行き来できる衣を織ることができる天女の姉妹が住んでいました。ある日、その天衣を着て地上で水遊びをしていた天女の一人が、若者の男に天衣を隠されてしまったため天上に帰れず、その男と結婚することになったのです。一方その男は、年老いた牛と共にひっそりと暮らしていましたが、天女と結婚したことにより子供にも恵まれ、幸せな暮らしを手に入れました。しかし、いつまでも天女が帰ってこないことに激怒した天上の上帝が、天女を連れ戻してしまったのです。母親がいなくなって泣きじゃくる子供を見た年老いた牛は「私を殺して皮を剥ぎなさい。その皮を着れば天上に行くことができる」と若者に言いました。若者はそれはできないと断りましたが、年老いた牛は自ら頭を打ち付け死んでしまいました。そして牛の皮を着た若者と子供は天上へと登っていきました。やっとのことで天女を見つけた時、空から大きな手が伸びてきて2人の間に線を引きました。その線からはどんどんと水が溢れ出し、若者と天女の距離はあっという間に広がって川となってしまったのです。それを見た子供は「ひしゃくで水をすくおう」と言い、若者と共に空に架かる川の水をすくい始めたのです。それを見た上帝は若者の天女に対する愛情と子供の母を慕う気持ちに感動し、「毎年7月7日だけ、家族で会うのを許そう」と言ったそうです。


<七夕伝説のまとめ>

実は、今回ご紹介した日本の七夕伝説以外にも、いくつも七夕のお話というのは存在しています。


各地方によって、少しずつ内容や結末が違いますので、この機会から是非色々な七夕にまつわるお話を読んでみてはいかがでしょうか。


出典: 豆知識Press